クルーズ専門旅行会社

2015年10月26日

香港でフェリー事故 邦人2人が怪我

フェリーは最も安全な乗り物と言われていたのは、もう過去のことだろうか?
フェリーの事故が、また起こった。

10月25日午後6時(日本時間午後7時)ごろ、マカオから香港に向かっていた高速船がランタオ島近海で、何らかの物体に衝突する事故があり、乗客・乗員174人のうち、約100人がけがをした。
香港の消防によると、6人が重傷。在香港日本総領事館によると、
香港在住の30代の男性ら日本人2人もけがをしたという。

乗船していた人の話では、事故の衝撃で座席から投げ出され、血を流している人もいたとのこと。
フェリーは船は運航できなくなったため、消防や別の船が乗客らを香港島へ運んだと言う。



ラベル:香港 フェr−
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2015年10月24日

津波と大川小学校〜大震災から4年7ヵ月を経て〜

東日本大震災から、4年7カ月が過ぎました。
3月11日と、翌4月7日の大揺れの後、それほどでなくても余震が絶えなかったため、
我が家は、だんだん痛みがひどくなってきました。
これでは外観もちょっと、、、。
来客があっても、家の中に入ってもらうのはちょっと、、、、、、。
このままでは、ますます家が壊れていくだけ、、、、、。

と言うわけで、半壊だった我が家を、やっと修繕することにしました。

いろいろな業種の職人さんたちが出入りしていますが、
その中に、津波で70人余りの児童が犠牲になった、
大川小学校の近くに家があったという職人さんがいます。

今まで、テレビや新聞その他で、津波の恐ろしさや震災の悲惨さは、
数限りなく目にし、耳にもしてきました。
もちろん、私自身の体験も含めてです。

しかし、この職人さんの話だけは、
その口から洩れた一言目から、私は涙を浮かべてしまいました。

彼は、消防団に入っていたということです。
消防団員として、行方不明者の捜索をした時の話を、彼はしてくれました。

なんとむごたらしい、、、。 なんと可哀想な、、、。
彼の話を聞いた後で、私ができることは、ただ祈ることだけです。

津波にさらわれた命。
崖を掘り起こせば、そこには泥土に埋まっていた、顔を両腕で覆った幼い少女の姿。

「どんなに恐ろしかったことか、、、。」

掘り起こした彼の、四年余りを経た今の言葉です。


「先生たちはどうしてすぐに。山の方に逃げさせなかったのでしょうかね、、?」


いつも思っていたことを、私は彼に言いました。

彼は言いました。

「あそこまで津波が来るとは、誰も思わなかったと思いますよ、、、。」


大川小学校から海辺までは、車で10分ほども離れているそうです。


当事者でなければ、どんなことでも言える。

しかし、当地に住み、当地で消防団活動を続け、犠牲になった子どもたちを
その手で掘り起こした人の言葉は、メディアの言葉よりも何よりも強く私の中に響きました。
posted by 海の子 at 21:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月03日

仙台空港屋上からのフェリー遠望

フェリー遠望.jpg仙台空港まで、久しぶりに車で行ってみました。
震災から半年を過ぎた、9月半ばの好天の日でした。
途中、津波が襲った仙台市若林区の沿岸部を周りました。
海辺から煙が上がっていました。
夕方のニュースで、それは瓦礫が燃えているためということが分かりました。

津波が襲った地域一帯は、なんとも
「言葉にならない」としか言えない光景でした。

仙台空港は、名前は仙台でも、実際は仙台市内にあるのではなく、隣の岩沼市内に立地しています。
震災当日は津波に襲われ、悲惨な状況がテレビで報じられたことは記憶に新しいものがあります。
周辺はまだまだ震災の跡が残っており、敷地内には雑草なども生い茂っている所もありましたが、
建物内部はすっかり綺麗になっていました。

屋上展望台まで昇ってみました。
はるか東方の沖に、太平洋フェリーが名古屋に向かって航行していくのが見えました。
携帯での写真なので、フェリーの形は明瞭に写っていませんが、
この画像の真ん中辺りを、フェリーがゆっくり航行していきました。

はるか彼方の沖を、フェリーが航行していくという当たり前の景色に、
なんとも言えない感慨を抱かされたものです。
フェリー遠望.jpg
posted by 海の子 at 23:24| Comment(4) | TrackBack(0) | 海の風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月28日

フェリーにまだ乗れない

太平洋フェリーをこよなく愛していた私ですが、
震災から5カ月を過ぎても、まだフェリーに乗船する気にはなれません。

いつまた沖で大地震が発生し、
津波が押し寄せるか知れない。
海には津波で行方不明になった人たちの遺体や遺骨、呻き声がただよっている。
そんなことを思うと、まだなかなかフェリーに乗船する気にはなれないでいます。

フェリーでゆったりと過ごすなんていうことは、
津波で亡くなった方たちに申し訳なく、心情的に出来ない気持ちでいます。

天変地異が続く世紀です。
地上にも海上にも、かつてのような平穏さが戻ってくるのはいつの日のことでしょうか。
posted by 海の子 at 20:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月01日

太平洋フェリーの運賃が半額です!

太平洋フェリーの運賃・料金が、来年3月まで半額になっています。
ただし、東日本大震災での罹災証明書を提示した人対象です。

いろいろな企業などが、罹災者のためにいろいろな支援をしてくれていますが、
太平洋フェリーの支援も、実にありがたいものです。

震災ボランティアも半額にしてもらえるということです。
くわしくは ↓

http://www.taiheiyo-ferry.co.jp/news/20110613.html

posted by 海の子 at 13:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 太平洋フェリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月17日

津波被災4カ月目の仙台港フェリー埠頭周辺

大津波被災後のフェリー埠頭事務所大津波4ヶ月後の仙台港フェリー埠頭周辺.大津波が襲った3月11日からちょうど4カ月が経った7月11日、
仙台港フェリー埠頭周辺に車を飛ばしてみました。

4カ月は長いとは言っても、大地震後のいろいろで、比較的近くに住んではいても
なかなかここまでは足を延ばす余裕がなかったのです。

夢メッセの近くあたりの信号機は、まだ復活していないものが結構あり、
手信号で合図をしていた交差点も数箇所ありました。


フェリー埠頭近くまで行くと、あの整った並木などが植えられていた道路は
面影もなく、無残なありさまでした。

フェリー埠頭の事務所の建物だけが、なぜか以前のままにしっかりと建っていました。

その周辺には、どんな建物や施設があったのか、もう今では思い出せません。
区画ごとに、瓦礫が山積みとなっていました。


ちょうど”きたかみ”が停泊していました。
”きたかみ”は、大地震から1週間ほどあとに、苫小牧港から仙台港まで物資を運んできてくれた
第1号のフェリーです。

いとしい”きたかみ”よ。
そんな思いが心の中を横切りました。

posted by 海の子 at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 仙台新港 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月20日

太平洋フェリー再開

太平洋フェリーが、5月下旬からやっと再開されることになりました。
再開といっても、臨時便ですが、、、。

余震が続き、また大きい地震が来るだろうとの予測もある中で、
乗船したいとは思えないのが本心ですが、

再開という知らせを聞いただけでも嬉しくなります。

     ↓
http://www.cs-cruise.co.jp/
posted by 海の子 at 20:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 太平洋フェリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月09日

多賀城〜仙台新港の惨状

仙台新港多賀城の惨状については、テレビや新聞で何度も目にしていますが、
実際に当地に行った人たちの話によると、なんとも言葉を失うとのことです。

大きな瓦礫が積み重なり、以前のおもかげは皆無とのこと。

フェリーの事務所の窓口で、いつも応対してくれていたスタッフの皆さんは
無事でしょうか?

何だか気にかかります。

多賀城は、昔も津波に見舞われています。
末の松山は、津波に由縁する歌枕の地です。


契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山浪越さじとは
                 清原元輔

posted by 海の子 at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月26日

震災後の太平洋フェリーの活躍

震災から2週間経ち、仙台港(仙台市宮城野区)のフェリー埠頭が利用可能になりました。
旅客輸送や、仙台ー名古屋間の航路再開の目途はまだたっていませんが、
仙台港のフェリー埠頭が、この3月25日に利用可能となり、
北海道の苫小牧港から出航した”きたかみ”が、
10トントラック53台とトレーラーのシャシー(荷台)44台分の物資を積載して
仙台港に、午前10時頃に着岸しました。

積荷には食料や医薬品などの支援物資等が搭載されています。
 
太平洋フェリーのファンとして、震災の後で活躍するフェリーを頼もしく思います。
ビバ キタカミ!!
ラベル:仙台港 震災
posted by 海の子 at 10:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 太平洋フェリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月23日

大震災避難所での夜

大震災当日の夜、私はある中学校の体育館に避難しました。
電気もなく、余震の続く自宅で夜を過ごすことには耐えられなかったからです。
避難所では毛布を配られると安易に考えて、ほとんど手ぶらで行ったのですが、
体育館では毛布の配付はありませんでした。

しかし、避難所での2泊はもちろんのこと、震災に遭って、普段では味わえない
様々な体験、心境など、マイナスなことだけではなく、
大いなプラスがあったことは、私をはじめ、多くの人たちが語るところです。

どのようなことかは、別記事に、後日アップしたいと思います。
ラベル:大震災 避難所
posted by 海の子 at 16:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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